プロフィール

姉から受けた「言葉の暴力」、尊厳を傷つけられ

身を切るような悲しい思いで過ごた幼少期

私は、社交的で人望のある両親のもとに

2人姉妹の妹として生まれました。
家にはいつも人が集まり、笑い声の絶えない家庭でした。

しかし、両親は忙しく家を空けることが多く、
4歳年上の姉と過ごす時間がほとんどでした。

その姉から、私は幼い頃から日常的に心と身体を傷つけられていました。

髪を無理やり切られる。
眉を剃られる。
顔に落書きをされる。
蛆虫を食べさせられる。

そして言葉の暴力。

「ぺんぺん草」
「平家蟹」
「大根足」

さらに小学3年生のある日、姉はこう言いました。

「あなたは橋の下で拾われた子。本当の子どもじゃないんだよ。」

幼かった私は、その言葉を信じてしまいました。

「私はこの家の子どもじゃない」
「私は、いらない子なんだ」

そんな思いを抱えながら育っていきました。

友達から、外見をからかわれ

人目が怖く、ひりひりとした心細さを感じていた子ども時代

小学校では髪型をからかわれ、
「男の子みたい」と言われることもありました。

トイレの鏡に映る自分の顔を見るのがつらい。
写真を撮られるのも嫌で、いつも下を向くようになりました。

少しずつ自信を失い、

「私は醜い」
「私は価値のない人間だ」

そう思い込むようになりました。

人の目が怖くなり
心を閉ざしていったのです。

友達を助けたのに、いじめにあう

「正しいことをする」という子供ながら信じていた「ルール」が崩れていく

居場所のない恐怖を味わった中学時代

中学生のある日、
いじめられている同級生を見て声をかけました。

「大丈夫?」

ただそれだけの言葉でした。

しかし、その日から
今度は私がクラス全員から無視される立場になりました。

「正しいことをしても報われない」

「人間関係は難しい」

そう思いながら、

人とかかわることが怖く、学校ではひとりで過ごすようになりました。
誰にも相談できないまま学校に通い続けました。

そんな私を支えてくれたのは
クラリネットを吹く時間と
母の手作りクッキーでした。

500円玉サイズの円形脱毛が増えていく

「出口のないトンネル」ひとり取り残されたような感覚

人間不信感に陥った大学時代

大学進学を機に一人暮らしを始めました。

「姉から離れれば人生が変わる」

そう思っていました。

しかし、長年の人間不信や自己否定は消えませんでした。

原因不明の背中の痛み。
不眠。
神経症。

そしてある日、髪の毛が大量に抜け始めました。

円形脱毛症でした。

「顔も醜いのに、髪までなくなる」

外に出ることさえ怖くなりました。

「心の痛みの解放と安堵感」

「息を吹き返えした」ような心地よさを覚えた

主人との出会い

大学で出会ったのが、今の主人です。

円形脱毛症で髪が抜けてしまった私に、
彼はこう言いました。

「ウィッグでいろんな髪型が楽しめるね」

私は衝撃を受けました。

欠点だと思っていたものを、
楽しみに変える視点があることを初めて知ったのです。

彼の周りには、
個性豊かで明るい仲間がたくさんいました。

その輪の中で過ごすうちに、
私は少しずつ笑顔を取り戻していきました。

「自分をゆるしてもよい」という許可をもらった気分で

「コンプレックスがあってもいい。
それも個性かもしれない。」

そう思えるようになったのです。

止まっていた時計が動き出し

人間関係の楽しさを知った大学生活

自己肯定感が低かった私でしたが、
少しずつ行動できるようになりました。

大学ではサークルに参加し、
さまざまなアルバイトを経験しました。

多くの友人と出会い、

「世の中にはこんなにいろいろな人がいるんだ」

と、人間ウォッチングが好きになりました。

「そのままでいい」

自分を縛り付けていた鎖が解けていくのを感じました。

一人暮らしでは、
炊事・洗濯・掃除・買い物をすべて自分で行い、
親への感謝にも気づきました。

電話と手紙を何度もくれた母、

最後の言葉は必ず、「体大事にするのよ。」

胸が熱くなったことを、覚えています。

大学生活の4年間は、
私にとって視野を広げた大切な時間でした。

特別支援学校での 30年間

自分の可能性への気づき

人生が変わりつつあることを実感した教員時代

卒業後、私は特別支援学校の教員になりました。

心身に障害のある子どもたち、

十人十色、豊かな個性に触れ、それを特性として

個々に応じて活かす支援をしてきました。
そしてそのご家族と30年間向き合ってきました。

教科書はなく、一人ひとりに応じた教育支援を考える毎日。

「成功したことは続ける、うまくいかないことは別の方法を試みる」

100人の子供に100通りの支援方法を試行錯誤する毎日・・・

理論→実践(試行)→省察(振り返り)のサイクルを

教師間で課題解決を目指す経過には、必ず意見の相違がありました。

子供たちが良くなることに重きを置き、

自分の考えを主張することの大切さ、

様々な考えを擦り合わせて良いアイディアがうまれることを痛感したものです。

この頃から、「自分は自分で良い」と思え、他人の考えにも耳を傾け

中立な立場で物事を捉えられるようになりました。

学校で、常にフィードバックするという姿勢が身に付き、

それは、セルフフィードバックにも繋がりました。

保護者の方々は

我が子の体調、成長、将来の不安を抱え、落ち込むこともある中

前向きで懸命に向き合う姿勢があり、教わることばかりでした。

子どもたちの個性
保護者の不安
社会の生きづらさ

その一つひとつに寄り添う中で、
ある日保護者の方からこう言われました。

「先生に出会えて救われました」

その言葉を聞いたとき、
私は初めて思いました。

「私にも人の役に立つ価値があるんだ」

自己否定ばかりだった人生に、
初めて光が差した瞬間でした。

自分の歩んできた道は間違えていなかったという

震えるような肯定感でした。

一人ひとりの子どもとじっくりかかわり理解を深める、

個々のペースの成長を大切にする・・・

それは、自分にも通じることで「自己とじっくり向き合う大切さ」を教わりました

自己理解を深めるために、

「自分の内側にある考えを外に出す(アウトプット)」、

「他人の視点を取り入れる」のこの2点を日常生活でも意識しました。

周囲に自分の長所や短所、意外な面などを聞き、自分を整理するようにもなりました。

それが「自分の個性」になったように感じてます。

保護者や子どもたちから得た気づきは、

人生の変える大きな節目となり、現在の自分の糧になっています。

家族を持ち

愛を注ぐ手応えと、生きるエネルギーが人生の幸せを感じた

23歳で結婚し、
仕事と家庭の両立が始まりました。

片道2時間の通勤。
山のような書類仕事。

主人の協力もあり、

「できることをすればよい」
「無理はしない」
「少しでもできたことを褒める」

そんな気持ちで日々を乗り越えていきました。

2人の子どもも産まれ、子育ては大変なこともありましたが、

子ども(児童・生徒)の個性を受け入れることを教職から学び

完璧は求めない、自分らしさのある子になって欲しい

小さな成長が嬉しく、それが支えとなり一生懸命でした。

仕事・家庭・介護の両立

非常に重く、しかし尊い試練の到来

「ちぎれそうな自己」と「強靭な責任感」相反する二つの心が揺れ動く

40代になると、
両親の介護が始まりました。

骨折
吐血
救急搬送
入退院の繰り返し

仕事、子育て、介護。

その頃、役職にも就き、100人を超える職員をまとめていました。

人はそれぞれ違う。

それぞれに生きづらさがある。

それを理解し、支え合うことの大切さを現場で学び続けていました。

介護との両立は、睡眠も取れない日々が続き、
通勤途中に事故を起こしてしまったこともありました。

それでも私は
13年間、在宅介護を続けました。

完璧を手放し、弱音を吐く自分を許す

「仕事・家庭・介護の役割」に埋もれ、失いかける「私(自分)」を取り戻

一番大切にすべきは、私自身の心である

責任感を捨てるのではなく、「自分をケアする責任」へと気持ちを振り分けることの大切さ

これらを両立する中で意識的に取り入れ、しなやかな心の余裕を持つことができました。

「生と死の深淵」

その姿を受け止めるのが、辛かったです。

両親は、孤独と不安で、もっともがいていたように感じます。

「両親の立場」になって想像したことで、

「人生の終盤をどう過ごしたいか」に寄り添うことができたように思います。

姉の放った言葉から「わだかまり」の再燃

介護の中での家族関係の難しさ理解を得られない孤独感

翻弄されない自分がいた

ある日のこと

義理の母が救急搬送されたので、

両親の介護を、姉にお願いしたときのことです。

帰宅すると姉は赤い顔で言いました。

「私をはめたでしょ!!」

母が粗相をして,下の始末が大変だったようです。

そしてこう続けました。

「毎日介護しているなら
体調くらいわかるでしょう?
教えて欲しかった」

私は言葉を失いました。

“体調も特には変わらず、生理現象は毎日の介護者でも掴めない・・・″

複雑な気持ちでしたが、
「悪かった」と謝ることしかできませんでした。

血のつながった姉妹でも
介護の悩みを理解し合うことは
簡単ではありません。

入院や手術などの決断を迫られるたび
私は姉に相談しました。

しかし判断は、いつも私任せでした。

「あなたは好きで、介護をしているんでしょ」

自分の親なのに、人ごとのような姉の発言。

両親の前で言われるのは、胸が締め付けられる思いでした。

わだかまりが再燃しても、私はもう姉の感情に翻弄されることはありませんでした。

姉の言葉が解いた長年の謎

納得」した心と

姉という人物像がみえた

ある日、姉はこう言いました。

「あなたを幼い頃から支配したかった」

その言葉を聞いたとき、
長年の疑問がすっと消えました。

私はもう
姉の言葉に振り回される子どもではありませんでした。

かつて私を苦しめた姉との確執も「どう向き合うべきか」という理解を深める中で、少しずつ手放していくことができました。軽やかになった心を感じるたび、自分を深く理解することの大切さを噛み締めています。

感情の扱い方が人生を変える

自分軸は、決断が早くなり、迷いが減る

人生の質を変えることを実感

姉は人生の節目に
自分で決断することが苦手でした。

両親や周囲の意見を聞きながら
物事を決めてきました。

今振り返ると

・失敗への恐怖
・周囲の目を気にする
・決定の先送り
・責任の回避

そうした要因があったのかもしれません。

その姿を見て
私は強く思いました。

「他人軸」のまま大人になることもある。

そして気づいたのです。

感情の扱い方は人生を大きく左右する。

穏やかな心と
自分を信じられる土台。

それが人生を切り開く力になると

かつては、自己肯定感の低い自分でしたが、

「自分の価値観や信念」に基づき行動できるようになりました。

怒りや不安にも冷静に対処し、精神的なレジリエンス(回復力)ができました。

在宅介護13年

「特別支援教育」と「介護」に共通するものがある

両親と過ごした貴い時間

在宅介護を13年間続ける中で、
私は、人の「生きる」ということを深く考えるようになりました。

特別支援教員時代に学んだ
**応用行動分析(ABA)**という心理学があります。

これは
望ましい行動を増やし、問題行動を減らす支援方法です。

人の行動は
「きっかけ」と「結果」によって変化します。

介護の場面でも、
取り巻く状況(きっかけや環境)を少し変えるだけで
認知症の母の行動が落ち着くことがありました。

また、もう一つ大切にしていたのが
スモールステップで取り組むことです。

小さな一歩を積み重ねること。

介護では、「小さな成功体験」を積み重ねることでした。

難病で身体が思うように動かなくなっていく父と、

「できること」に目を向け、焦らずに向き合うことができました。

それは
介護を受ける人だけでなく、
介護する側の心も支えてくれる方法でした。

人は、どんな状況でも
“必ず自分らしさを取り戻す力″を持っている。

それを私は、
両親との時間の中で何度も感じてきました。

「介護=大変」

葛藤もありましたが、
振り返ると幸せな時間でした。

犠牲ではなく
自分が「学びたい」「大切にしたい」という気持ちで
向き合ってきた時間でした。

介護をしていると罪悪感に襲われることがあります。

・自分の精神状態が落ちているときは、

辛い時は助けを求め、抱え込まない

・「自分はこれでいい」と、いまのままの自分自身を認める

両親から最後にもらった言葉

魂が震えるような「全肯定」の感覚、「感謝」

父は弱々しい声で言いました。

「お前はきれいだよ」

母は言いました。

「自分らしさを大切にね」

涙が止まりませんでした。

幼い頃から抱えていた心の傷が
やっと癒された瞬間でした。

両親亡き後、心の中で灯り続ける「消えない灯火」です。

「凪」の心を支える柱になっています。

私のカウンセリング

十人十色でいい

心の渦を整える

自分らしい未来がみえてくる

かつての自己肯定感が低い経験から、特別支援教育や介護経験を経て

「心の渦」を整え、自分らしく生きる重要性に気づくことができました。

「心の渦」とは、「思考のループ」、「感情の濁流」「負の引き込み」です。

「あの時、ああすれば良かった」「どうして、あんなことになったのか」という後悔や不安が頭の中で何度も同じところを回り続け、出口が見つからなくなることありませんか?

怒り、悲しみ、焦り、嫉妬などが混ざり合い、感情の整理がつかなくなることありませんか?

一度そのことを考え始めると、冷静な現実が見えなくなります。

「心の向き合い方、扱い方」を知ることで、人生の迷いを整理し、

幸せな未来を導くことができます。

小さな一歩で思考と行動を変化させ、他人に振り回されない

「自分らしい人生」へのサポートをお手伝いします。

感情に飲み込まれそうな相談者に、私が手に入れた「凪」の心地良さを分け与え、「自分を守りながら愛する術」を伝えていくのが使命感だと思っています。

そして、仕事で出会った父兄・子供たち、仲間、両親や家族から得た愛を、社会へ循環させていきたいのです。

~こんなお悩みを抱えた方々へ~

・自分を責めてしまう
・人の目を気にしすぎてしまう
・感情の扱い方が分からない
・自分の本当の気持ちに気づけない
・自分らしい人生が選べない

誰にも言えない心の葛藤を言葉にしてみてください。

複雑に絡まった悩みが少しずつほどけていきます。

大きく変わる必要はありません。
小さな一歩でも、人生は確実に動き始めます。

人生は決して捨てたものではありません。

誰もが幸せになれる可能性を持っています。

どんよりした日常に光を差し込むお手伝いをします。

あなたが明日への一歩を踏み出せるよう
私はそっと伴走します。

人の目が怖くなり
心を閉ざしていったのです。