はじめまして
「人生の迷いを整える」
カウンセラーの「さこま 結理(ゆり)」です。

幼少期のコンプレックスから
私は、いつしか自分の本当の声を
押し殺して過ごしていました。
しかし、心は悲鳴をあげていました。
円形脱毛症や原因不明の神経症・・・・
それは、心からのSOSだったのだと
今はわかります。
・誰にも分かってもらえない
・人間不信感
・自己肯定感が低く、自分はだめだ
・自己否定と自己嫌悪の塊
ずっと、心が渦のようにモヤモヤし
不安と苦しみでもがく毎日
「どうすれば、この苦しみを変えられるのか?」
そんな私が変わるきっかけとなった
「命の輝きが教えてくれた出会いと激動の人生経験」
そして心理学が私の心をたくましく生まれ変わらせてくれました。
かつての私のように
◆ 人の目や言動に振り回されて自分を見失っている方へ ◆
◆ 仕事・育児・介護 責任を抱えながら走り続けてきたあなたへ ◆
不安・怒り・焦り…心の渦を整えると、自分らしい未来が見えてきます。
自分らしさを取り戻した私の歩みを詳しく綴りました。
カウンセラーとの相性を確かめるためにも、詳しいプロフィールをご覧ください。
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目次
・姉から受けた「言葉の暴力」身を切るような悲しみを抱いた幼少期
・外見をからかわれ、人目が怖く、心細さを感じていた子ども時代
・主人との出会い 心の痛みが解放されたような心地よさを覚えた
・特別支援学校の30年間 人生観を変えた出会い「光が差し、震えた」
・13年間の介護突入「仕事・家庭の両立」頑張りすぎない方が心は安定する
・姉の言葉が解いた長年の謎 興味のあった心理学への思いが強くなった
・仕事の学びは、介護にも共通する! 充実感を味わった在宅介護
・最後にもらった両親のことば・・・初心に、たちかえる大切な宝物
姉から受けた「言葉の暴力」身を切るような悲しみを抱いた幼少期
私は、社交的で人望のある両親のもとに、2人姉妹の妹として生まれました。
幼少期の私は、おとなしく、受け身なタイプでした。
家にはいつも人が集まり、笑い声の絶えない家庭でした。
しかし、両親は忙しく家を空けることが多く、4歳年上の姉と過ごす時間がほとんどでした。
その姉から、私は幼い頃から日常的に心と身体を傷つけられていました。

髪を無理やり切られる
眉を剃られる
顔に落書きをされる
蛆虫を食べさせられる
そして言葉の暴力
「ぺんぺん草」
「平家蟹」
「大根足」
さらに小学3年生のある日、姉はこう言いました。
「あなたは橋の下で拾われた子。本当の子どもじゃないんだよ」
幼かった私は、その言葉を信じてしまいました。
「私は、この家の子どもじゃない」
「私は、いらない子なんだ」
そんな思いを抱えながら育っていきました。
外見をからかわれ、人目が怖く、心細さを感じていた子ども時代

小学校では、姉に切られた前髪パッツンの髪型をからかわれ、「男の子みたい」と言われていました。
トイレの鏡に映る自分の顔を見るのがつらい
写真を撮られるのも嫌で、いつも下を向くようになりました。
少しずつ自信を失い
「私は、醜い」
「私は、価値のない人間だ」
そう思い込むようになりました。
人の目が怖くなり、心を閉ざしていったのです。
いじめにあい 居場所のない恐怖を味わった中学時代

中学生のある日
いじめられている同級生を見て声をかけました。
「大丈夫?」
ただそれだけの言葉でした。
しかし、その日から
今度は私がクラス全員から無視される立場になりました。
「正しいことをしても報われない」
「人間関係は難しい」
そう思いながら
人とかかわることが怖く、学校ではひとりで過ごすようになりました。
誰にも相談できないまま学校に通い続けました。
そんな私を支えてくれたのは、クラリネットを吹く時間と母の手作りクッキーでした。
円形脱毛、神経症・・・人間不信に陥った大学時代

大学進学を機に一人暮らしを始めました。
「姉から離れれば、人生が変わる」
そう思っていました。
しかし、長年の人間不信や自己否定は消えませんでした。
原因不明の背中の痛み
不眠
神経症
そしてある日、髪の毛が大量に抜け始めました。
円形脱毛症でした。
「顔も醜いのに、髪までなくなる」
外に出ることさえ怖くなりました。
主人との出会い 心の痛みが解放されたような心地よさを覚えた
大学で出会ったのが、今の主人です。
円形脱毛症で髪が抜けてしまった私に
彼はこう言いました。
「ウィッグで、いろんな髪型が楽しめるね」
私は衝撃を受けました。

欠点だと思っていたものを
楽しみに変える視点があることを初めて知ったのです。
彼の周りには
個性豊かで明るい仲間がたくさんいました。
その輪の中で過ごすうちに
私は少しずつ笑顔を取り戻していきました。
「自分をゆるしてもよい」という許可をもらった気分で
「コンプレックスがあってもいい。
それも個性かもしれない」
そう思えるようになったのです。
人間関係の楽しさを知り 止まった時間が動き出した大学生活

自己肯定感の低かった私でしたが
少しずつ自分のしたいことに行動ができるようになりました。
大学ではサークルに参加し
さまざまなアルバイトを経験しました。
多くの友人と出会い
「世の中にはこんなにいろいろな人がいるんだ」
と、人間ウォッチングが好きになりました。
「そのままの自分でもいい」
自分を縛り付けていた鎖が解けていくのを感じました。
一人暮らしでは
炊事・洗濯・掃除・買い物をすべて自分でしなければならず
親のありがたさを、しみじみ感じたものです。
電話と手紙を何度もくれた母
最後の言葉は必ず、「体大事にするのよ」
遠くで応援し、支えてくれる人がいる
胸が熱くなったこと、忘れられません。
大学生活の4年間は
私にとって視野を広げた大切な時間でした。
特別支援学校の30年間 人生観を変えた出会い「光が差し、震えた」

卒業後、私は特別支援学校の教員になりました。
心身に障がいのある子どもたち
十人十色、豊かな個性に触れ、それを特性として
個々に応じて活かす支援をしてきました。
そしてそのご家族と30年間向き合ってきました。
教科書はなく、一人ひとりに応じた教育支援を考える毎日
「成功したことは続ける、うまくいかないことは別の方法を試みる」
10人の子供に10通りの支援方法を試行錯誤し
理論→実践(試行)→省察(振り返り)のサイクルで
教員間の話し合いは続きます。
課題解決を目指す経過には、必ず意見の相違がありました。
自分の考えを主張することの大切さ、様々な考えを擦り合わせて良いアイディアがうまれることを実感したものです。
この経験は、他人の考えにも耳を傾け
中立な立場で物事を捉える大切さを教わりました。
フィードバックで、セルフフィードバックが養われたように思います。

保護者の方々は
我が子の体調、成長、将来の不安を抱え、落ち込むこともある中
前向きで懸命に向き合う姿勢があり、教わることばかりでした。
子どもたちの個性
保護者の不安
社会の生きづらさ
その一つひとつに寄り添う中で
ある日保護者の方からこう言われました。
「先生に出会えて救われました」
その言葉を聞いたとき、
私は初めて思いました。
「私にも人の役に立つ価値があるんだ」
自己否定ばかりだった人生に、
初めて光が差した瞬間でした。
震えるような肯定感でした。
個々のペースの成長を大切にする・・・
それは、自分にも通じることで「自己とじっくり向き合う大切さ」なのです。
自己理解を深めるために
「自分の内側にある考えを外に出す(アウトプット)」
「他人の視点を取り入れ、良さを認める」
これは、自分を客観視することにも繋がり
「自分の個性」になったようにも感じてます。
保護者や子どもたちから得た気づきと
教員仲間の存在との深い学びの30年間は
人生を変える大きな節目となり、現在の自分の糧になっています。
教職で得た学びが人生のしあわせ・エネルギーになる

23歳で結婚し
仕事と家庭の両立が始まりました。
片道2時間の通勤
山のような書類仕事
主人の協力もあり
「できることを、お互いにする」
「できたことを、褒め合う」
「完璧は求めないで、ぼちぼちやろう」
そんな気持ちで日々を乗り越えていきました。
2人の子どもも産まれ、初めての子育て、仕事の両立、たくさんの戸惑いはありました。
子ども(児童・生徒)の個性を受け入れることを教職から学び
命ある存在に感謝し、小さな成長が嬉しく、それが支えとなり無我夢中で一生懸命だった記憶しかないです。
13年間の介護突入「仕事・家庭の両立」頑張りすぎない方が心は安定する

40代になると
両親の介護が始まりました。
骨折
吐血
救急搬送
入退院の繰り返し
仕事、子育て、介護
その頃、役職にも就き、100人を超える職員をまとめていました。
人はそれぞれ違う。
それぞれに生きづらさがある。
それを理解し、支え合うことの大切さを現場で学び続けていました。
追われる締め切りの仕事
朝4時起きで両親の1日分の食事準備、家事
帰宅したら両親の体調管理に入浴、着替え、排泄など
立っていられなくて、這ってるような感覚でした。
仕事と家庭と介護との両立は、睡眠も取れない日々が続き
通勤途中に事故を起こしてしまったこともありました。
打撲で済みましたが、その経験が私に教えてくれたのです。
「自分で何もかも責任を背負い、頑張りすぎていたということ」
精神的にも追い込まれて、悲鳴をあげていたのです。
◇完璧を手放し、弱音を吐く自分を許す
◇「仕事・家庭・介護の役割をしなければならない」という
観念に埋もれ、失いかける「私(自分)」を取り戻すことの大切さ
◇一番大切にすべきは、私自身の体と心である
◇責任感を捨てるのではなく、
「自分をケアする責任」へと気持ちを振り分けることの大切さ
これらを意識的に取り入れることで、少しずつしなやかな心の余裕を持つことができたように思います。

そして
13年間 在宅介護を続けました。
振り返ると
介護は「生と死の深淵」の日常でした。
その姿を受け止めるのが、辛かったです。
両親は、孤独と不安で、もっともがいていたように感じます。
「両親の立場」になって想像したことで
「人生の終盤をどう過ごしたいか」に
寄り添うことができたように思います。
姉との「わだかまり」の再燃 理解し合えない介護の現実

ある日のこと
義理の母が救急搬送されたので、
両親の介護を、姉にお願いしたときのことです。
帰宅すると姉は赤い顔で言いました。
「私をはめたでしょ!!」
母が粗相をして、下の始末が大変だったようです。
「毎日介護しているなら
体調くらいわかるでしょう?
教えて欲しかった」
私は言葉を失いました。
”体調も特には変わらず、生理現象は毎日の介護者でも掴めない…”
複雑な気持ちでしたが
「悪かった」と謝ることしかできませんでした。
血のつながった姉妹でも
介護の悩みを理解し合うことは
簡単ではありません。
入院や手術などの決断を迫られるたび
私は姉に相談しました。
しかし判断は、いつも私任せでした。
「あなたは好きで、介護をしているんでしょ」
自分の親なのに、人ごとのような姉の発言。
両親の前で言われるのは、
父、母に申し訳なくて胸が締め付けられる思いでした。
「姉を頼りたい、時には助けてほしい」葛藤する思いと裏腹に
「私、よくやってるよ」と
自分を慰める心がありました。
わだかまりが再燃しても、私はもう姉の感情に翻弄されることはありませんでした。
姉の言葉が解いた長年の謎 興味のあった心理学への思いが強くなった

ある日、姉はこう言いました。
「あなたを幼い頃から支配したかった」
その言葉を聞いたとき
長年の疑問がすっと消えました。
姉という人物像がみえた瞬間でした。
姉のことは、心の傷として20代まで残っていました。
介護を機に、姉と会う頻度が増えましたが
客観的、冷静な目で姉の発言、行動を受け止める自分がいました。
なぜ、変われたのか・・・考えてみました。
私が「自分の気持ちを癒すことができるようになった」ことが大きな理由だと思います。
「相手を責めるのではなく、相手を理解する」ことが、自分を癒すということに繋がります。
自己と向き合いながら癒す方法を見つけ、「自分を癒せた後には、相手を許せること」ができたのです。
かつて私を苦しめた姉との確執も
「どう向き合うべきか」という理解を深める中で
少しずつ手放していくことができました。
軽やかになった心を感じるたび
自分を理解することの大切さを噛み締めています。
もっと心理学について知りたい、学びたい
特別支援学校で保護者や職員の悩み相談を受けた経験もあり
カウンセラーという仕事に一層の興味を抱きました。
自分を信じられると心が豊かになり、優しくなれる
姉は人生の節目に
自分で決断することが苦手でした。
両親や周囲の意見を聞きながら
物事を決めてきました。
・失敗への恐怖
・周囲の目を気にする
・決定の先送り
・責任の回避
そうした要因があったのかもしれません。
その姿を見て
「他人軸」のまま大人になることもある。
そして気づいたのです。

感情の扱い方は人生を大きく左右する。
穏やかな心と
自分を信じられる土台。
それが人生を切り開く力になると。
かつては、自己肯定感の低い自分でしたが
「自分の価値観や信念をもつ」「自分を信じる」ことは、
自分らしい未来が見えてくると感じています。
仕事の学びは、介護にも共通する! 充実感を味わった在宅介護

在宅介護を13年間続ける中で
私は、人の「生きる」ということを深く考えるようになりました。
特別支援教員時代に学んだ
応用行動分析(ABA)という心理学的手法があります。
これは
望ましい行動を増やし、問題行動を減らす支援方法です。
人の行動は
「きっかけ」と「結果」によって変化します。
介護の場面でも
取り巻く状況(きっかけや環境)を少し変えるだけで
認知症の母の行動が落ち着くことがありました。
また、もう一つ大切にしていたのが
スモールステップで取り組むことです。
小さな一歩を積み重ねること。
介護では、「小さな成功体験」を積み重ねることでした。
難病で身体が思うように動かなくなっていく父
「できること」に目を向け、焦らずに向き合うことができました。
それは
介護を受ける人だけでなく
介護する側の心も支えてくれる方法でした。
人は、どんな状況でも
”必ず自分らしさを取り戻す力”を持っている。
それを私は、
両親との時間の中で何度も感じてきました。

「介護=大変」
葛藤もありましたが
振り返ると幸せな時間でした。
介護をしていると
「もう少し優しくしてあげれば・・・」「もっと時間をかけてあげれば・・・」
数え切れない罪悪感に襲われることがありました。
・自分の精神状態が落ちているときは、少し離れて休息する
・辛い時は助けを求め、ひとりで抱え込まない
・「自分はこれでいい」と、今の自分自身を受け止める
訪問看護師、理学療法士、言語訓練士、往診医師、ヘルパー、ケアマネージャー
そしていつも身近で支えてくれた家族の存在
決して「ひとりではない」「一人では、成し遂げれない」
支え合い、協力し合う環境は、私の心も成長させてくれました。
最後にもらった両親のことば・・・初心に、たちかえる大切な宝物

父は弱々しい声で言いました。
「お前はきれいだよ」
母は言いました。
「自分らしさを大切にね」
幼い頃に抱えていた心の傷、、、そして今の私、、、
両親は、口にはしませんでしたが、知っていたのでしょう。
姉との確執もわかっていたのでしょう。
私の心の葛藤も感じ取っていたのでしょう。
誰を批判することなく、ずっと見守ってくれていた。
「嬉しかった」、、、とめどもなく涙が溢れました。
両親の手をしっかりにぎりしめ
悩んでいる、辛い心でいる方々の力になりたいと
心理カウンセラーの道を進む決意をしました。
両親亡き後、心の中で灯り続ける「消えない灯火」です。
くじけそうになる自分の心を支える柱になっています。
人生の迷いを整えるカウンセラーになりました

かつての自己肯定感が低い経験から、特別支援教育や介護経験を経て
「心の渦」を整え、自分らしく生きる重要性に気づくことができました。
「心の渦」とは
言い換えると「思考のループ」、「感情の濁流」、「負の引き込み」のようなもの。
「あの時、ああすれば良かった」「どうして、あんなことになったのか」
という後悔や不安が頭の中で何度も同じところを回り続け
出口が見つからなくなるような感覚です。
自己否定、自信の無さ、嫌な気持ちを反すうするなど
怒り、悲しみ、焦り、嫉妬などが混ざり合い、感情の整理がつかなくなるような
一度そのことを考え始めると、冷静な現実が見えなくなります。
悩みが複雑に絡み合い
心が渦状態になると
負のループに引き込まれて行ってしまいます。
私も人生の中で何度もそのような気持ちに陥りました。
幼少期のトラウマを引きづったままだったら
自分らしさは今でも、もてなかっただろうと感じています。
きっかけは
日常にあり、人との出会いや環境が大きな影響を与えてくれることもあります。
「心の向き合い方、扱い方」を知ることで
人生の迷いを整理し
幸せな未来を導くことができます。
小さな一歩が思考と行動を変化させ
他人に振り回されない
「自分らしい人生」を築けるのです。
そのサポートをお手伝いさせていただけたら、幸いです。
私との出会いが、その一歩に繋がり、明るい笑顔へ導くことが私の願いです。
感情に飲み込まれそうと感じている方に
「自分を守りながら愛する術」を伝えていくのが使命感だと思っています。
そして、「仕事で出会った父兄・子供たち、仲間、両親や家族から得た愛」を
社会へ循環させていきたいという思いが
私のカウンセラーになりたい動機にあるのです。
~こんなお悩みを抱えた方々へ~
・自分を責めてしまう
・人の目を気にしすぎてしまう
・感情の扱い方が分からない
・自分の本当の気持ちに気づけない
・自分らしい人生が選べない
・仕事、介護、育児、家庭など 責任を抱えて苦しい
・責任感から解放されたい
人生の様々な面で生きづらさを感じている方々へ
誰にも言えない心の葛藤を言葉にしてみてください。
複雑に絡まった悩みが少しずつほどけていきます。
大きく変わる必要はありません。
小さな一歩でも、人生は確実に動き始めます。
人生は決して捨てたものではありません。
誰もが幸せになれる可能性を持っています。
どんよりした日常に光が差し込み、安心感を取り戻してほしい
という思いで活動しています。
あなたが明日への一歩を踏み出せるよう
私はそっと伴走します。

